↑いやー、自分で書いてて恥ずかしくなっちゃうレベルの幼稚なタイトルだなー(笑)
だけど、そんな赤面モノ級の文言がデカデカと印刷された本が、雑誌コードを持った版元から出て、全国書店に配本されているんだからいよいよもってクレイジーの極みです。

「読売提言」を受けて、産経新聞社「正論」も大騒ぎするんだろうなーとは思っていましたが、予想を上回るヒステリックさ。そしてさらに驚きなのが、憤怒のボルテージに反比例するような内容のスカスカっぷりです。
今回は、メインとなっている八木秀次による「読売新聞は0点」という記事にツッコんで行きます。
まず、幼稚ついでの「揚げ足取り」を一つ(笑)「読売は0点」という事は、八木秀次は読売が一面見出しに掲げた「皇統の安定 現実策を」という言にも反対、つまり「皇統が安定しなかろうが、現実的で無かろうが知ったこっちゃない!」という考えなのですな。
これは単なる戯言ではなく、八木は本当にこう考えているとしか思えないほど、この記事は感情的な言葉や教条の復唱に終始しており、とても「論」の体をなしていません。
まず、読売提言へのイチャモンで必ず出てくるこの言葉
何を今さら新味のないものを。しかも、このタイミングで。やっとまとまりかけていた「立法府の総意」をぶち壊して振り出しに戻そうとするのか。
そもそもこのブログを書いている5月31日時点でも、立民の野田代表と自民の麻生最高顧問の交渉が続いているぐらいで、ちっとも「まとまりかけて」いません。また「全体会議」自体が、まともな「議論」も行われず(あの進め方は「意見発表会」でしかない)、世論からも大きく乖離した方向へ強引に押し切ろうとしていた。だからこそ、このタイミングでの「提言」なのです。
八木をはじめとする産経ムラの面々はずーっと「国民は女性天皇と女系天皇の違いも解っていない」などと国民を下に見た発言を続けていますが、だったら何で今の今まで産経新聞は「男系血統を死守せよ!」という全力の提言特集を行わなかったのですか?
答えは簡単で、常識的な感覚を持った大多数の国民にドン引きされて、メディアとしての自滅につながるのが解っているからです。だから「こっそり、ささっと、気づかれないように」進めちゃって欲しかったのですな。
そこに、10倍以上の発行部数を持つ読売新聞が「ちょっと待った!」と声を挙げたので、「もうちょっとだったのに!ムキーッ!」となっているに過ぎません。
また八木は、
読売提言はやっとまとまりかけていた与野党の協議をぶち壊して振り出しに戻すだけでなく、時計の針を20年近く戻して小泉純一郎内閣の有識者会議が提言した「女性天皇・女系天皇の実現」や、民主党政権の野田佳彦内閣で検討された「『女性宮家』の創設」という古証文をよみがえらせた。
と述べますが、読売提言は(皇統の安定とイコールではない)「皇族数の確保」に矮小化されてしまった議論自体への疑義を「提言」しているのですから、時計の針は戻されたのではなく、「止まっていた針を動かした」というのが正確です。
八木のような男系固執論者がこの点にナーバスになるのは、「女系継承(も交えた、性別を問わない直系長子優先の双系継承)だと何がダメなの?」と問われると、すぐ破綻する論拠しか示せず、自身の主張の核が結局は「男尊女卑価値感へのすがりつき」でしか無い事が明白になってしまうからです。
八木が「皇統とは男系の事である!」と述べる論拠は、こちらが心配になる位に薄弱です。
例えば八木は、皇統=男系である根拠として、伊藤博文の「帝国憲法皇室典範義解」から「皇酢を践むは男系に限る」という一文を印籠のように示します。
だけどこれ、因果関係が逆。伊藤の義解は「憲法や皇室典範が発布されるにあたっての解説書」なのだから、井上毅の「男を尊び女を卑しむ慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは多弁を費すを要せざるべし」という意見によって定められた男系絶対の価値観に沿っているのは当然です。
では、憲法第2条が定める「皇位は世襲」について、正論読者へのウケを狙って(笑)安倍晋三氏が官房長官だった時の答弁を引用すると
「憲法においては、憲法第2条に規定する世襲は、天皇の血統につながる者のみが皇位を継承するということと解され、男系、女系、両方がこの憲法においては含まれるわけであります」(平成18年1月27日、衆院予算委員会での安倍晋三内閣官房長官の答弁)
憲法における「世襲」には男系、女系の区別が無い事は、数々の答弁や学者の見解から「定説」と言えます(詳細はこちらやこちらの高森先生の記事がわかりやすいです)。
結局の所、八木は読売提言がその根本に掲げる「現実策」へのロジックを一切示せない事を自覚しているから、「伊藤博文とか出せば、正論読者は〝何か凄そう!〟と思うだろう」といった類の、空虚なレトリックしか打ち出せないんです。
一旦「現実」に踏み出すと論拠が0.1秒で崩壊してしまう様はこの記事中でもしっかり露呈しています。例えば次のくだり。
読売新聞は、その旧宮家の男系男子の皇族復帰を、現在一般人であることを理由に批判する一方、女性宮家の配偶者には紛うことなき一般人を迎えてもよいとする。ことの優劣を判断できないダブルスタンダードと言わざるを得ない。
配偶者、つまり婚姻のパートナーが皇族となる事は、皇后陛下をはじめとする男性皇族のお后という「厳然たる現実」が存在するじゃないですか。「ダブルスタンダード」などと一見「論理的っぽい」言葉を使っているけど、両者の間には本来「並べる」事さえ不可能なレベルの「前提の差」が存在します。
八木教授先生様は、学生がこんな論理破綻したレポートや論文を書いてきたら、指摘せずに通しちゃうんですか?それとも、採点(価値判断)基準は「固着した教条に沿っているか」だけなんでしょうか?(高卒の私が言うのも大変おこがましいですが、それ多分「アカデミズム」じゃない)。
「土俵に上がらない」時点で八木の言説は0点ですらない「評価不能」レベルですが、公を軸にした言論を展開できず「自室に籠もって喚き散らしている」という行状を鑑みると、落第を超えた「退学相当」ですね(タイトルの正当化(笑))。
記事の終盤でもまた一笑いあって、読売提言を「憶測に近い話まで持ち出して」と批判する一方、その段の結び近くでは「穏健保守を論調としてきた読売新聞に今、いったい何が起きているのか」と、まるで「大したネタがつかめなかったゴシップ週刊誌記事」みたいなふにゃっとした記述しか出来ていません(もし自分がゴシップ週刊誌の鬼デスクだったら、よーしゃなくリテイク出すレベルです)。
もう「正論」という〝弁当箱〟は、こんな干からびた素材をその都度チンして詰める程度の力しか無いのだなあ、と侘しさを感じてしまいます。
もののあはれを感じつつ、せっかく駅弁と同じ位のお金を出して「正論」を購入したので(笑)引き続き他の〝食材〟に関しても評論して行きます(笑)。





















